「鰯雲」は、農地改革によって没落していく旧地主の姿を描いた物語です。
こういう固いテーマながら、恋愛ドラマを絡めた群像劇として、女性でも面白く見られる映画になっています。
若者たちが、親との対立を経て自立していく姿は、スカッとするような爽快感がありました。
その一方で、土地を取り上げられて没落していくしかない旧地主の悲哀には、暗澹たる思いが残ります。
失われた春を取り戻す女やもめ、八重(淡島千景)
八重は女学校を出ていて、賢くて活発な上に、勝ち気な性格の持ち主です。
農家へ嫁いできたものの、昔ながらの農家の因習に馴染む事が出来ず、自ら道を切り開いて行きたいというバイタリティに溢れています。
彼女は夫を戦争で亡くしたため、結婚生活はほんの短い間で終わってしまいました。
その後は農家の嫁として、子育てと畑仕事に追われ、姑には単なる「働き手」として冷遇されています。
そこへ新聞記者の大川(木村功)が、農家の相続問題というテーマで取材をしにやってきます。
八重は久しぶりで話の合う相手に出会って饒舌になり、大川は八重の聡明で快活な様子に惹かれ、2人はたちまち親しくなります。
ふとした事から、話題が八重の兄の長男・初治(小林桂樹)の婚期が遅れているという事になり、大川は良さそうな相手が思い当たると言います。
2人は初治の見合いをまとめるために、奔走し始めます。
そうして ちょくちょく会ううちに、二人はしだいに不倫の関係になっていきます。
ほとんど八重がリードしている感じで、どちらかといえば大川が彼女に引っ張られている風に見えます。
八重は大川との出会いによって、だんだん本来の自分の姿を取り戻していきます。
新聞に農家の主婦に関するコラムを書いたり、この頃の農家では珍しかったらしい車の免許取得に挑戦したりと、水を得た魚のように活発になるのでした。
兄や友だちにも「急に若くなった」と驚かれるくらいです。
淡島千景さんの出演している映画
没落していく旧地主の当主、和助(中村鴈治郎)
八重の兄・和助は、大地主であった父の後を継いだ「本家」の当主です。
ところが今となっては農地改革で畑を1/10にまで減らされ、昔の小作人と立場が逆転してしまったという、可愛そうな人なのでした。
おまけに彼の父親は強権的で、お嫁入りしてくる相手が気に食わないと、バンバン追い出してしまうような人でした。
和助は自分の意思とは関係なく、2度も離婚させられています。
初治が結婚できない理由も、子供たちがみんな腹違いという変わった事情からなのでした。
和助は愚直な性格で、器用に時代の変化に対応して行く事が出来ません。
子供たちは必死で新しい流れに乗ろうと奔走しているのですが、和助には子供たちの行動が全く理解出来ません。
次男・信次(太刀川洋一)は唯一サラリーマンをしていますが、和助のやり方に着いて行くつもりなど端からありません。
和助の反対をよそに実家を出てしまい、銀行勤めの便宜をフルに活用しながら、町での暮らしを楽しんでいます。
結婚も一人で勝手に決めて、全て自分たちで話を進めてしまいます。
和助には、子供たちの将来について色々と目論見がありました。
ところが信次に限らず、ことごとく子供たちの反対に合い、全てが思い通りになりません。
子供たちは父親を想ってはいるのですが、親の言うことを聞いていたのでは、時代に取り残されてしまう事が分かっているのです。
中村鴈治郎さんの出演している映画
親元を飛び立っていく子供たち
八重たちの奔走の甲斐あって、初治の婚礼はまとまりかけますが、ここでも和助と子どもたちの話が合いません。
和助の家はいまや、貧窮の一途を辿っています。
それなのに彼は、本家のメンツを保つために、借金してでも昔ながらの盛大な婚礼にこだわるのでした。
八重が「今は家としての嫁入りではなく、夫が妻として迎える時代なんだ」と説明しても、和助には通じません。
八重は、和助の意地が元で縁談が壊れてしまわないように、裏で初治たちの仮住まいを見つけてあげます。
初治たちは 小作の仕事をしながら同棲生活を始め、次男と合同で親しい仲間だけの「地味婚」をするのでした。
完全に置き去りとなった和助に、さらに「トドメの一撃」が襲います。
それは、三男の転向でした。
三男の「自動車修理工になりたい」という強い意思によって、ついに最後に残された土地まで手放す結果になってしまうのでした。
そして八重も、大川の転勤が決まった事で、ひとつの節目を迎える事になります。
土地から離れる事のできない八重は、大川との別れを選ぶしかありません。
彼女は若者たちと共に新しい波に乗っているつもりでしたが、一人になってみると和助の苦悩が痛いほど理解できるのでした。
成瀬巳喜男さんの監督映画
1958年公開
この映画を見ていたら、かつての大地主とはどういう存在だったのか?という事が気になりました。
映画に出てくるのは「自作農」という、土地を自分で運営するタイプでした。
一方、オーナーとしての地主は自分では農業は行わず、資本家に近い存在だったようです。
そして農地改革で何が起こったかというと、それは農地の細分化であり、日本の農業の衰退だったという事が、この映画から伝わってきました。
農家には政府が補償したりしていますが、補助金を出した産業は逆に衰退するという話を聞いた事があります。
後継者不足という問題もありますが、そもそも小分けされた農地では運営が難しいようです。
この映画が若者の自立という清々しいテーマを扱っている一方で、ラストにどん詰まり感があるのは、こういう社会問題へのメッセージが込められていると思いました。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
厚木市民の私は、二十数年前、NHKBSでこの映画が放送されると知って、BS機器を導入してみました。
二世中村鴈治郎さんが演じた父親については、無理があるなと思いました。
やはり大阪が舞台の映画でないと生き生きしないと思いました。
厚木市立図書館には、この映画についての展示があり、この時期にしては珍しい、カラー、シネスコの作品だと紹介していました。
しかしながら、これには訳があると思います。
「鰯雲」というタイトルが、成瀬監督の代表作「浮雲」に便乗できるタイトルだと、プロデューサーが予算を大盤振る舞いしたのだと思います。