夏目漱石の小説の映画化は、これまで何度も繰り返し制作されていて、同じ物語の違うバージョンがいくつもあったりします。

その中でも特に昭和初期に制作されたものは、今から見ると新鮮なものがあります。
明治の物語を昭和の感覚で、という一粒で二度美味しいような楽しみ方ができてしまうのが醍醐味です。
そこで今回は、夏目漱石の映画化作品をまとめました。

【吾輩は猫である】高度な「笑い」のセンス!?

「吾輩は猫である」には、成金と学者のバトルが描かれています。

お金にはまったく興味のない、風変わりでマイペースなインテリたちは、貧乏でも毎日 愉快に暮らしています。

そこへ、学者と成金の一家に些細な衝突が生まれた事で、成金が学者をマウントしようとしたり、やたらと嫌がらせを仕掛けてくるようになります。
ところが両者の価値観は何処まで行っても平行線で噛み合わず、学者の方などは誰が争いを仕掛けて来ているのかすら理解していません。

そのうち成金の方が勝手に自爆してバトルは終結しますが、結局は楽しんだもの勝ちか!?と思うような、能天気チームの不思議な勝利なのでした。
同じバカなら、金銭を追い求めて四苦八苦するよりも、貧乏も含めて楽しんでしまう方が良い人生ではないか?という人生観のようなものを感じました。

【虞美人草】女性の幸福度は、社会の縮図

「虞美人草」には、西洋的な価値観に染まった娘が、不幸になっていく様子が描かれています。

ヒロインは何不自由ないブルジョアのお嬢様でありながら、なにか満たされない想いを抱いていて、いつも不機嫌な様子です。

その背景には、彼女がお妾の娘であり、その母親の持つ価値観に原因があるようです。
母親にとって大切なのは物質的な豊かさや社会的地位で、そのせいか娘には何か愛情に欠けた冷たい感じが漂います。

一方で、自分を「馬鹿」だとか「古い」と恥じる昔ながらの家庭的な娘は、教養があって洗練されたお嬢様の事を崇拝している様子です。

ところが物語の結末は、平凡な娘の方が幸せを掴み、ヒロインが失意の底へと突き落とされて、自ら命を絶つという展開を迎えます。
このラストには、物質的な豊かさやステイタスを重要視しすぎて、本質的なものの価値が分からなくなり始めた明治日本への危惧を感じました。

【こころ】夏目漱石の「明治観」を思わせる男たち

「こころ」には、明治という時代を生きた、二人の男の人生が描かれています。

二人の青年の情熱と葛藤、そしてその後の挫折を見ていると、明治という時代の影の部分が描かれているのではないか?
と思うような、謎めいていて意味深な感じのする物語でした。

そして ここで言う「こころ」とは魂の事で、明治以前と以降で変化し始めた、日本人の内面が描かれているような気がします。

明治大帝の御大葬の荘厳な響きと、人々の深い悲しみに暮れる様子からは、この後に訪れる新たな時代に立ち込める暗雲のような、重々しいトーンが伝わってきました。

【ちょっと余談】明治とはどういう時代だったのか?

明治時代に思いを馳せるなら、まず訪れたいのは やっぱり明治神宮だと思います。

そして案外 知られていないけど、お勧めのスポットがあります。
それは明治の歴史をつぶさに閲覧できる「聖徳記念絵画館」という美術館で、教科書に載っている絵画の本物が展示されています。

近代日本美術を代表する日本画家や洋画家76人による壁画が80枚もあり、なかなか見応えがあります。
歴史的光景が忠実に描かれているという趣向が、また明治らしい・・・。
内装も素敵です♪

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