「歌女おぼえ書」は、哀れな旅芸人の女が願いを叶えていく、不思議な成り行きを描いた物語です。

普通なら「お話だよね」と片付けられてしまいそうな、奇想天外なサクセス・ストーリーなのに、なぜかウソ臭さや安易さが感じられず、人間の中に眠っている無限の可能性を信じさせてくれるような不思議なリアリティがありました。

一人ひとりでは弱い存在でしかない人たちが、何か大いなる力に導かれるように与えられた役割を果たし、事を成し遂げていく姿に心を動かされます。

大きな決断を迫られたり、ときには相当な勇気を発揮しなければならないような局面で、背中を押してくれる「目には見えないもの」の存在を感じるような力強さがありました。

数奇な運命をたどる旅芸人、歌女(水谷八重子)

歌は、しがない旅芸人の女です。
子供の頃に両親と死に別れ、旅から旅への生活を続けてきましたが、この稼業にはホトホト嫌気が差しています。

そんな歌は「馬の足」役の男たちのオイシイ話に釣られ、彼らについて行きます。
ところが険しい峠を越える際に彼女の存在が足手まといとなり、男たちはオイシイ話がウソだった事を白状します。
そして事もあろうに、歌を逗留していた旅籠へ売り飛ばそうとするのでした。

そこへ、ちょうど居合わせたお茶問屋を商う平松という老人が、彼女を気の毒に思い「姐さんは、家で預かることにしましょう」と提案します。
騙されたばかりで警戒モードなはずのお歌ですが、直感で平松の徳の高さを理解したのかもしれません。
不思議と素直に、大人しく彼について行くのでした。

歌は娘の縫子に踊りを教える役割を与えられ、平松家で暮らし始めます。
とはいえ、やはり人間社会は そう簡単に行くものではありませんでした。

平松の家は老舗っぽい立派なお茶問屋で、使用人も大勢いましたが、誰もが旅芸人の歌をいかがわしい女と忌み嫌い、彼女を平松の情婦という目でしか見てくれません。
次男の次郎は学校で「お前の家には化け物がいる」といじめられるし、縫子も外で何か言われたのか「踊りなんかいいの!」と、歌を受け入れてはくれませんでした。

窮地に立たされる若旦那、庄太郎(上原謙)


ところが歌がこの家に来て間もなく、平松は急に体調を崩して あっという間に亡くなってしまいます。

東京の大学に通っていた長男・庄太郎が帰ってきますが、彼は家業について何も把握していませんでした。
店の財務状況を整理してみると借財ばかりで、使用人たちが離散した後の平松家は、急にガランとしてしまいます。

歌はこのうえ平松家の世話になる訳にもいかず、庄太郎に暇乞いをします。
ところが庄太郎は、この期に及んで
「どこかアテでもあるんですか?
あて無しに出ていったんじゃ、お世話のし甲斐が無かったというもんだ。
目当てのつくまで、いたらどうかね?」
と、歌に優しい言葉をかけてくれるのでした。

とはいえ、庄太郎はこれから先どうして良いか分からず、ひとりで途方に暮れている所でした。
歌は庄太郎の心意気に呼応したのか、自然と親身な気持ちになっていきます。
「若旦那は大学を卒業もせず、店を継ぐのでも無いとなると
それは中途半端ではございませんか?」
と問いかけ
「お嬢さんと坊っちゃんは、私が面倒を見させて頂きます。
若旦那は、大学を卒業なさいまし」
と言い放ちます。
そう言う歌の様子は、それまでのマゴマゴして自信無さげだった彼女とは別人のようで、毅然としていて驚きます。

ところが、もっと驚くのは若旦那の決断です。
「キミ、僕の女房になってくれるかい?
家も妹弟も、女房になら預けられる」
と、突然ヒラメきでもしたかの様に言うのです。

そして歌の方でも、最初こそ驚いたものの、芯から承諾した様子で受けて立つという、トリプル・ビックリな展開になって行きます。

上原謙さんの出演している映画


開花していく後継者たち

庄太郎には、じつは暗黙の許嫁がいました。
それは平松と親しくしていた、金融業者の梶川という男の娘です。
親が決めた話とはいえ、子供たちの気持ちも まんざらでは無さそうです。

ところが庄太郎は一切を歌に任せて、梶川には何も告げずに東京へ戻ってしまいます。
そんな訳で歌は梶川の反感を買ってしまいますが、縫子や次郎には真心が通じ、二人は歌を慕うようになります。

そんなある日、アメリカの商社が大口の案件を持ち込んできます。
茶の商いについては まるで分からない歌ですが、聞けばアメリカで平松のブランドである「山平」印のお茶が、評判を呼んでいると言うのです。
あいにく休業という事なので、商標を借りたい(ライセンス契約というんでしょうか)という話でした。

歌は、断るでもなく承諾するでもない「すこし猶予を下さい」とだけ応えます。
そして考えた後、歌はお茶の在庫も無いのに
「商品もうちで納入させて下さい。責任を持って収めますから。」
と約束をしてしまうのです。

この度胸はどこから湧いてくるのだろう?と不思議になりますが、それはその場しのぎの出任せではありませんでした。
歌は、店と関わりのあった業者それぞれに、順番に当たってみます。
まずは懇意にしていた取引先、そして取引先がすでに契約を交わしてしまったというライバル店、そして金融業者の梶川へと、みんなに頭を下げつつ、それぞれの事情を聞き出して行きます。
業務内容というのは、どこからでも学ぶ事が出来るんだなぁ、と感心してしまうような展開です。

とはいえ最後には、梶川の協力を得られないという壁にブチ当たってしまいます。
それでも歌は諦めませんでした。
彼女は、いまは利益を追求するより「のれん」を守る事が優先だと判断します。
「茶業組合」に掛け合い、業者たちに『山平』の商標を提供するから納品に協力して欲しい、と呼びかけ「三方よし」を実現させてしまいます。

こうしてアメリカの商社との契約は成立し、平松は晴れて再びのれんを掲げる事が出来たのでした。

清水宏さんの監督映画


1941年公開

映画には「明治35年」という具体的な年号が出てきます。
何かちょっと意味を含んでいそうな気がしたので、この年に起こった出来事を調べてみると「日英同盟」が締結された年でした。

一方、映画の公開は真珠湾攻撃の少し前あたりで、戦時体制も深まってきた頃です。
ところが全く違う時代を描いていながら、なぜかこの物語には当時の空気が表現されているような気がしました。
もしかすると作者は、このときの緊迫した状況と、日露戦争直前の頃とを重ね合わせていたのかもしれません。

当時の時事や国際情勢を扱っている訳でもなく、一般庶民の世界を描いているに過ぎないのに、なぜか その深刻な時代背景を思わせるような、重苦しく張り詰めた感じがズッシリとくる印象を受けました。

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