「銀座化粧」は、一人で子供を育てながらホステスをしている女の物語です。
銀座のバーが描かれているのですが、この頃のバーはケバケバしさが無いし、歌を聞いたり歌ったりして、なんだか呑気な様子です。
映画全体も、水商売の世界を扱っている割にはホッコリした印象です。
主人公の雪子は、割り切って旦那を持ったりする事が出来ませんが、ホステス稼業もいつまでも続けられる訳もなく、どこか焦りを感じているのが伝わってきます。
キモいオヤジに付け込まれたり、王子的男性には相手にしてもらえない様子は、リアルで痛い感じです。
結局さいごは、世話が焼ける存在だと思っていた息子だけが、確かな存在だと痛感する母子の物語なのでした。
お人好しで損する事の多い、雪子(田中絹代)
雪子は、長年銀座のバーでホステスをしていますが、年齢的にこの仕事も厳しくなり始めています。
小さな男の子・春雄を育てながらのお勤めですが、この子はなかなか賢い子で、何となく母親の苦労を理解しているのか、世話を焼かせないどころか結構母親に気を遣っている様子です。
雪子はあまり世渡りが上手ではない性格で、損ばかりしているように見えます。
仲間に旦那を持つ事を勧められても気が進まないし、客に飲み逃げされたり、春雄の父親には捨てられたというのに時々泣きつかれてお金をあげたりしています。
そんなある日、昔の朋輩から彼氏のお相手をお願いされてしまいます。
彼氏と言っても、女が勝手に心の中でそう想っているだけの“単なる知り合い”なのですが、旦那の相手で手が離せない間だけ、その彼氏に東京見物のお供をしてくれるようお願いに来たのです。
雪子は人が良いので、こんな面倒くさい依頼もつい引き受けてしまいます。
ところがその彼氏・京助(堀雄二)は真面目で家柄も良く、女学校を出ている雪子とはどこか会話が弾み、雪子は久しぶりで昔の自分に帰る事が出来たのです。
田中絹代さんの出演している映画
純潔を守り抜く娘、京子(香川京子)
雪子には京子という妹分がいます。
京子は、結核の父親を養生させる為にしかたなくこの世界に入ってきた真面目で清純な娘です。
徹底的な雪子の庇護を受けているせいで悪い虫もつかず、これまで悪の道に染まらずに来ているような所があります。
京子の方でもそれが分かっているらしく、雪子には絶対服従という感じで、姐さんの言う事は何でも素直に聞いています。
姐さんの忠告の中でも一番厳しいのは、やっぱり信頼できる男性を見つける事で、お店に来るような人にはかなり警戒をさせられています。
雪子には息子の父親に捨てられた経験があるため、その教訓が効いている所があるのです。
香川京子さんの出演している映画
理想の相手登場!
雪子は京助と観光ツアーをしているうちに、だんだん彼に惹かれていきます。
どうやら理想の相手が見つかったようで、雪子はがぜん元気が出てきました。
ところが雪子が京助を案内している間に、春雄が行方不明になってしまいます。
雪子は知らせに来た京子に京助を託して、春雄を探しに行きます。
京助はそろそろ東京巡りも飽き始めていたのですが、京子をひと目見てその可憐な美しさにハッとなります。
二人はたちまち恋に落ちたらしく、その日のうちに結婚の約束までしてしまいます。
春雄は近所の兄ちゃんに遊びに連れて行かれただけで、夜になったら家へ帰ってきました。
雪子は人さらいに拐われたんじゃないかとか、事故にでも遭ったんじゃないかと気が気でなかったため、この時ばかりはすごい剣幕で春雄を叱りつけます。
雪子は翌日京助に会いに行きますが、彼はもう田舎へ帰ってしまった後でした。
その後、京子に京助と結婚の約束をしたと告げられ、最初はショックを受けたものの「京子ちゃんが幸せになってくれるのなら、それで良いのよ」という風に、親心のような優しさを発揮するのでした。
何だかまた損をしてしまったようで、一見可愛そうに見えるラストですが、雪子の心境が潔いので見ていて清々しさが残ります。
また冒頭の方によく似た日常生活が始まりますが、ひとつだけ変化が見られるのは、春雄の父親に小遣いをあげていた雪子が、ラストではこの男を追っ払っています。
そこには、人に依存したりされたりする関係を精算して、もっと強く生きて行こうという意気込みが現れています。
さんの監督映画
1951年公開
雪子の勤めるバーには、子供の物売りがやってきます。
戦前の映画でもこういう場面を見たことがありますが、この頃もこういう状況は続いていたようです。
今では全く考えられない光景ですね。
他にも色々なタイプの”流し”が来たり、生演奏でカラオケをする様子はどこかシュールな感じがします。
「他の店はもっと営業努力している」というようなセリフがある事から、ちょっと古くさいようなバーが描かれているようです。
雪子が京助を連れて銀座を案内する場面では、戦後の復興中の様子を見る事が出来ます。
路面電車が走っていたり、所々にバラックが建つ様子は、もう今となっては比較する事が出来ないくらいに違っています。
大きなビル建築の“トルコ風呂”というのが出てきますが、これは日本初のサウナらしいです。
建物の中にはサウナやキャバレー、麻雀、飲み屋などが集まる“複合レジャー施設”だったようです。
今からすると、いかにもオヤジ臭い内容ですね・・・。
こういう銀座の歴史一つとっても、なかなか興味深いものがありました。
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