「神阪四郎の犯罪」は、殺人の容疑をかけられた男が、証人らの嘘の証言で追い詰められ、人間不信に陥っていく物語です。

この映画の面白さは、証人たちの証言の嘘っぽさが、事実関係の食い違いによるものではないという事です。
証人たちの証言が決定的に一致しないのは「神阪のキャラクター」で、彼がどういう人物なのかが全く掴めないのです。

おまけにラストは判決を待たずに終わってしまいますが、実は裁判の結果が出たところで、スッキリしないのではないか?と思うくらい、証言というのはアテにならないというのが、この物語の怖いところでした。

神阪(森繁久彌)を取り巻く証人たち


とある編集社の編集長・神阪は、愛人の梅原千代と薬物を飲んで心中を図り、自分だけが助かりました。
神阪は偽装心中を疑われ、殺人の容疑で裁判にかけられます。

ところが、法定に呼ばれた神阪の知人たちの証言を聞いていると、神阪という男には全く一貫性が無く、聞けば聞く程どういう人間なのかが分からなくなって行きます。

最初の証人は、今村徹雄(滝沢修)という著名な評論家です。
彼は神阪が無名の頃から面倒を見ていて、二人は師弟関係のようでした。
ところが今村は、神阪は最初こそ善人を装っていたけど、実は嘘や芝居が上手な男で、自分は騙されていたのだと証言します。

というのは、今村は自分が紹介してやったポストで神阪が横領をしていると、編集社の社長から聞かされたのでした。
自分はふだん神阪から接待を受けていたので、共犯者のような汚名を着せられたと憤慨します。

次の証人である編集社の社員・永井さち子(高田敏江)は、神阪が独身と偽って付き合っていた女性です。
あるとき風邪で寝込んでいた神阪を見舞った永井は、彼に奥さんや子供がいる事を知らされますが、その後 社での評判を気にした神阪に陥れられたのだと言います。

永井は神阪から原稿の受け渡しを依頼されますが、後で原稿の中身が意図的に抜き取られていた事に気付きます。
こんな人の元では働けないと判断した彼女は、すぐに辞表を提出しますが、神阪は謝ったり次のポストを約束したり、しまいには恫喝してまで関係を継続しようとする悪辣さだった、という証言でした。

ところが神阪の妻の証言になると、彼は清廉潔白で家族思いながら、世渡りが下手なために不遇な生活を送っていた という印象を受けます。
神阪は編集長という地位を持ちながら、その生活は最低レベルで、給料以外の余分なお金など一切持ち帰った事は無いと言います。
そもそも心中を図った梅原も、元はといえば、今村から押し付けられた女性だったのでした。

森繁久彌さんの出演している映画


梅原(左幸子)の残した日記


亡くなった梅原は、生前の記録ともいうべき日記を残していました。

彼女は作家になる夢を掲げて、田舎から出てきた若い娘でした。
それを今村が「いつか引き立ててやる」という約束を餌に、彼女に結核の妻の世話をさせた挙げ句に、自分の情婦にしてしまった いきさつが書かれていました。

そしてそれが奥さんにバレると、彼女の身柄は、突然会った事もない神阪の手に委ねられたのです。
梅原の手記には、奥さんから感染ってしまった結核と孤独で、やりきれないような寂しさが描かれていました。
彼女はときどきやってくる親切な神阪の存在に救われますが、病気が治る見込みは無いような気がしていました。

それでも神阪に励まされ、一度は前向きな気持になったものの、彼に母親の形見であるダイヤの指輪を渡し、換金してくれるよう頼んだ時から、彼の素行が怪しくなってきます。
神阪は「あれは偽物だったよ」と言いますが、そんな筈は無く、疑心暗鬼に陥った梅原は、今度は神阪に「一緒に死んで欲しい」と願うようになるのでした。

左幸子さんの出演している映画


ホンモノの神阪四郎、登場!?

そして、いよいよ神阪の証言の番です。
実際の彼は、他の証人の印象である「調子の良い嘘つき」や「裏表の激しいエロ上司」、「清廉潔白な夫」でもなく「気の弱いお人好し」とも違う感じです。

彼の証言は、すべて他の証人が証言した事の「撤回」という形になります。

まずは会社の横領の件ですが、あれは入社時に社長と交わした「広告費の20%を交際費として受け取る」という約束が原因になっていました。
神阪の横領の嫌疑は、だんだん売上を伸ばす編集社の成功を見て、交際費が惜しくなってきた社長が、自分を失脚させるために仕組んだ罠だと反論します。

永井は社長とも関係していて、二人はグルでした。
原稿が紛失した件も、神阪をハメるための工作だったのです。
それでも事を荒立てたくない両者はこの件を示談で済ませ、神阪は新たな会社を立ち上げて再出発しようとしていました。

ところが その頃、彼は今村に押し付けられた梅原に手を焼いていました。
結局は神阪も、彼女の勢いに呑まれてフラフラっと関係を持ってしまいます。

ところが彼女は贅沢な暮らしを要求したり、心中を要求したりして、神阪の手にも余る存在になって行きます。
こうした関係を切るに切れずにいる所へ、知らずに睡眠薬入りのウイスキーを飲まされたと証言するのでした。

久松静児さんの監督映画


1956年公開

この映画の、疑心暗鬼に満ちた人間関係の荒廃ぶりを見ていると、さぞかし過酷な頃だったのだろうと思い、ちょっと時代背景を調べてみました。

すると意外なことに、映画が公開された1956年(昭和31年)あたりは、戦後の復興もようやく落ち着いてきて、いよいよ高度経済成長期へと突入する第一波あたりの、むしろ「上向き」な社会だったようです。

生活が向上してきた一方で、経済に重きを置きすぎて、お金や権威、帳簿なんかの信用度の方が確かになってきたという事なのでしょうか?

梅原の日記にあった
「この指輪まで偽物だったら、私の周りには
何ひとつ本当のものは無くなってしまう」

という言葉は、あまりにも悲しいものがありました。
物事の価値基準を「金銭」ばかりに頼るようになった、今の風潮を予期しているみたいだと思いました。

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