「稲妻」は、下町の荒れた一家の中に育ち、そこから何とか抜け出そうとする末娘の物語です。
だらしがなく、目先の損得だけで行動する家族を持ちながら、どこか同調できず、このままでは社会から置き去りにされるという危機感を抱いているヒロインの焦りが、ひしひしと伝わってきました。
ヒロインは、努力して進歩しようとする人々と出会う事で、世界はもっと広く、未知の可能性がある事を肌で感じていきます。
目的ははっきりとしないけど、一歩上昇したい、もっと高い次元の世界に行きたいという切実な願いと、まるで自分の足を引っ張るような堕落した家族たちとの間でもがく様子は、痛々しくて思わず応援したくなる気持ちになりました。
向上心に燃える末娘、清子(高峰秀子)
清子は、バスガイドの仕事をしていますが、そろそろ結婚を考える年頃です。
ところが清子の家庭は変わっていて、姉弟4人の父親がそれぞれ違っています。
そのせいか、家族はどこかまとまりが無く、打算的な空気が漂っています。
一番質の悪い長女などは、自分の利益と交換条件のために清子の嫁入り先を押し付けてきたりします。
兄は相手がパン屋だからパンがタダになって良いナ、なんて言うし、母親もよく考えもせずに話を勧めてきます。
清子の味方は次女の光子(三浦光子)だけですが、その光子も意気地がなく、どこか話が合いません。
清子は、姉弟の中で一人だけ勉強が出来たらしく、女学校を出ています。
清子はこの家族の狭いキャパシティを抜け脱して別の世界を見た事で、皆がバカに見えてしょうがありません。
そして、もっと上の世界がある事を知ってしまったことで、逆に自分の運命を悲観するようになったのです。
高峰秀子さんの出演している映画
流れに身を任せる母(浦辺粂子)
清子のお母さんは、きちんとした躾を受けられなかった女のようです。
生きる術は男に頼る事であり、捨てられたり死別したりすれば新しい男にすがり、その度に子供を生んでいます。
清子が「お母さんは自分の幸せについて考えたことないの?」と聞くと、そんなハイカラな事考えた事もないという答が返ってきます。
要するにその日暮らしで、次々と自分に降りかかる事態に反応して生きているだけです。
どこか投げやりで、何が起こっても「仕方がない」で済ませてしまい、自分で道を切り開く力や気力は全くありません。
ただ「子供たちをちゃんと育てなければいけない」という動物的な感情だけが彼女を突き動かしているのです。
浦辺粂子さんの出演している映画
一人で生きていく決意
清子はだんだんこの家族の堕落ぶりに脅威を感じ始め、家を出て自活する事にしました。
ここにいては自分が駄目になってしまうと思い、環境を変えて一人になって見たくなったのです。
二食になっても魂の向上を優先する下宿人の姿に触発されたのかもしれません。
ところが唯一のしっかり者であった清子が出て行ってしまったせいか、清子の家はますます乱れていきます。
一家は憎しみ合って離散していき、光子などは行方不明になってしまいます。
ある日母親が清子を下宿に訪ねて来て、事の次第を打ち明けます。
清子はそんな話は聞きたくもなく、心底うんざりしてしまいます。
そして母親に「お母さんの対処の仕方が悪いからこうなるのだ」と説得しているうちに、だんだん日頃鬱積していた感情がどっと押し寄せてきました。
しまいには、とうとう「生んで欲しくなかった、今まで一度も幸せを感じた事などなかった」という致命的な言葉が出てしまいます。
それを聞いた母親はショックを受け、子供のように泣き始めます。
それとは逆に、清子は言いたくても言えなかった事をぶちまけたせいで、気分がすっきりしてしまいます。
「以前はそう思ってたけど今は違うよ」と言わんばかりに明るさを取り戻して、母親の機嫌をなだめてやるのでした。
1952年公開
この映画の舞台は下町の商店街で、みんな個人で商売をして生きています。
この頃は個人商店が盛んで、個人でも小売業で生きていける時代だったんですね。
自営業率が低下の一途をたどっている現在から見ると、庶民がお店を持っている光景はちょっと不思議に見えます。
自営業のイメージも今とは違い、忙しいだけで生きていくのが精一杯といった風で、サラリーマンになれないので個人商店を営んでいるという風にも見えます。
バスガイドも特に安定した職業ではないようで「23才で、いつまでもバスに乗ってもいられまいよ」という暗黙の年齢制限がある事が表現されています。
男1人に女23人という極端な男女比率の差があるという話も出てきて、女性にとってはかなりの結婚氷河期だったようです。
この時代の空気は、就職が困難になって結婚する人も減ってきた現在に通じるものがあるような気がしました。
成瀬巳喜男さんの監督映画
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。