女の座
「女の座」は、ちょっと複雑な大家族の、それぞれの人生や思惑を描いたホームドラマです。

家庭が核家族化した現代から見ると、その複雑な事情や人数の多さが不思議でした。
こんなに大勢の家族が、それぞれに結構 伸び伸びと暮らしている様子には感心しますが、そうなるにはやっぱりどこかに「犠牲」が伴うようです。

結局しわ寄せは主婦に集中し、主婦のストレスが子供に向かってしまうという構図があるのでした。

そしてその犠牲は大きな悲劇となって表面化するのですが、それでもこの家の家族たちは淡々としていて、やっぱり嫁というのは孤独なものだと思わざるを得ないような物語でした。

複雑な大家族を支える主婦・芳子(高峰秀子)

荒物屋を営む石川家の主婦・芳子は、夫と死に別れた未亡人です。
真面目で賢く、頑張り屋なのに決して自己主張しないという、ずいぶん出来た人です。

石川家の姑(杉村春子)は後妻の為、この家には前妻の子供が3人と、更に姑の子供が3人います。
この関係が何とも複雑で、なかなかキャラクターが覚えられませんでした・・・。
そしてこの家には、嫁入り前の娘が3人同居しています。

未亡人でいながら、義理の両親だけでなく3人の小姑と同居しながら息子を育てているだけでも大変そうです。
おまけに、既にそれぞれ家庭を持った兄弟たちが実家の財産を狙っています。
それでも芳子は、嫌な顔一つせず一人で石川家を支えているのでした。

そして こんな生活の中に、更にある「異分子」が飛び込んで来ます。
それは、石川家の後妻である姑が最初の結婚で生んだ息子です。
この息子・六角谷(宝田明)は、別れた夫側に引き取られていました。
ところが偶然に石川家の兄弟の一人と出会い、母親と再開する事になったのです。

高峰秀子さんの出演している映画


我が道を行く小姑・梅子(草笛光子)


未婚のまま30才を超えてしまった梅子は、ちょっと癖のある娘です。

梅子は前妻の子供ですが、父親が再婚した時は相当に反発をしたようです。
嫁の芳子に「たった一人の他人」だとか、ストレートに言いたい事をズバズバ言うし、こだわりが強い所があります。
母親は継母だし父親はおおらかな性格なので、誰も彼女をたしなめられる人はいません。

梅子はお華やお茶の師匠で成功しているという、ちょっとやり手の女性です。
実家に同居してはいるものの、自分で建てた離れに住んで悠々自適といった感じの生活をしています。

この梅子が、突然石川家に現れた六角谷を一目見てたちまち気に入ってしまいます。
六角谷は自動車のセールスマンをしているのですが、イケメンでインテリで、人当たりが良いときています。
これが梅子の理想にぴったりハマってしまったようで、もう結婚しないつもりだった梅子にとって この出会いは特別なものでした。
梅子の性格上、一度こうと決めたら積極的に攻めて行くのでした。

草笛光子さんの出演している映画


家族の中で三角関係!?

一見、梅子と良い感じになったように見えた六角谷ですが、彼の方では違っていたようです。
六角谷は、実は芳子に憧れていたのです。

ところが芳子は、この六角谷の悪い話を聞いてしまいます。
六角谷が普段からお金に汚いとか、彼に捨てられて子供を降ろしたという女性にも出会うのです。
芳子は、実の母親である姑からも、六角谷には不審な点がある事を聞かされていました。

一方で、梅子の想いはどんどんヒートアップしていきます。
両親に結婚したいとまで打ち明けますが、それを聞いた芳子は遠回しにこの結婚話を否定します。
元々芳子を良く思っていない梅子は暴走し、六角谷が芳子に想いを寄せている事を聞かされると、芳子に怒りをぶつけるしかありませんでした。
芳子は姑の手前、誰にも真実を言えず、自分一人の中に抱え込むしかありません。

そんな六角谷ですが、どうやら芳子への想いは本当のようです。
六角谷は野心家で洗練されているように見えますが、実はそうしなければ生きていけないという事情があったのです。
でも本心では家庭的な平穏さに飢えていたようで、石川家に訪れた時には幸せを感じたと言います。
その言葉には、嘘がないように思えました。

成瀬巳喜男さんの監督映画


1962年公開

この映画には、2人の違った女性像が描かれています。

梅子は、独身貴族を謳歌して優雅に暮らしています。
お華やお茶の師匠の仕事は「生徒が捌ききれない」というボヤキが出るほど軌道に乗っています。
おまけに父親の相続で譲られた土地に離れを建てる事で実家に留まり、「自由」と「保護」の両立を実現しています。
経済的にも外車の一つもポンと買えてしまうという生活なら、確かに無理して結婚する必要などないのかもしれません。

一方で芳子は、夫の両親の世話をしているにもかかわらず、財産は譲ってもらえそうもないという昔ながらの主婦像といった感じです。
両親は既に頼れる存在ではなく、兄弟たちも芳子の将来について考えてあげられる人はいません。
結局、芳子の不安はまだ中学生の息子に一点集中してしまい、息子はむしろ母親に再婚して欲しいと願っているくらいです。

この二人は同じ時代の同じ環境にいながら、まるで違う世界を生きているように見えました。
常に移り変わる社会の中で、日本古来の価値観が「個人の生き方」という形で脈々と引き継がれているのかもしれないと思いました。


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