戦前の日本映画を見ていると、その様子が思いのほか西洋的なのに驚く事があります。
明治時代の「文明開化」には何かしら違和感があり、今から見ると滑稽な感じが拭えません。
ところが昭和初期にもなると、すでに日本も「こなれた」欧米的生活様式を身に着けています。
良くも悪くも欧米化が進み、日本文化と溶け合って、かなり板についてきたという感じです。
【淑女は何を忘れたか】ブルジョアジーの「日常的な」愉しみ
「淑女は何を忘れたか」には、呑気で楽しげなプチブルたちの生活が描かれています。
ヒロインの好奇心旺盛な「今どきの」娘は、タバコを吸ってみたり車の運転やゴルフをしたりと、かなりハイカラで活動的です。
保守的な叔母は良い顔をしませんが、本人さえやろうと思えば何でも出来るという雰囲気です。
一方で「長唄」をたしなみ、「お茶屋」へ芸者見物に出かけたりと、決して国産の文化も外さないのが、この頃ならではの特徴だと思いました。
そして小学生の子供たちは当時の流行歌を歌いながら、大人を小馬鹿にするくらいの頭はすでに身に着けています。
一方で、あまりお勉強が得意でない青年も、無事に大学に通えています。
専業主婦の奥様たちは三越でお買い物をして、運転手付きの自家用車で友達のお宅へ赴き、世間話をしながら「うな重」を取ったりしています。
ここまで来ると、まったく今と遜色ないどころか、むしろ今以上な感じです。
この頃が日本の頂点だったかな・・・と思うような、呑気で楽しげな生活風景が広がっていました。
ただやっぱり、これはほんの一部のお金持ちだけの話で、国民全体の事でないのが残念な所かな、とは思いました。
【婚約三羽烏】昭和初期の「アイドル映画」はクオリティ高し
「婚約三羽烏」は、都会的でオシャレな、軽快ラブコメ映画です。
当時の花形俳優を集めた、それぞれ違ったタイプの「イケメン三人組」が、アイドル的な喜怒哀楽を披露しています。
この頃出始めたらしいレーヨンという素材が「人絹」と呼ばれていたり、その人絹の反物が、高級ブティック形式で売られている様子には面白いものがありました。
当時は既製服が無く、反物から仕立てるシステムであった事が分かります。
そして店員である三羽烏たちは、今の「黒服」のような存在で、反物の専門知識が無い所は日本の「呉服屋」文化と全く違います。
【男性対女性】日本独自の進化をはじめる舞台芸術
「男性対女性」には、今の舞台芸術の原型みたいなものが描かれています。
映画に出てくる様々な演目は、まだそれぞれカテゴライズされておらず、すべてひっくるめて「レビュー」と称されています。
ただ、どれも今となってはお馴染みの赴きがあり、この頃のレビューが舞台芸術の元になっているように思いました。
宝塚みたいなミュージカルからタップダンス、前衛的なダンス(?)のようなものまで、多様な演目が混在する様子は、面白いものがあります。
そして何よりも、この映画にはとても興味深い描写がありました。
それは、欧米列強とバリバリ渡り合っていた頃の「強気な」感じの日本人の姿です。
貿易会社の御曹司が上海のキャバレーで豪遊する場面も、堂々としているけどナチュラルな感じで、全然ギラギラしていません。
スマートにタキシードを着こなし、あの時代特有の力の抜けたような「余裕」のある様子には、力強さと品が漂っているようでした。
西洋っぽいけど、日本はやっぱり日本♪
「男性対女性」の映画のような、日本の貿易業の勢い盛んな様子を見ていると、どうしてもその後の急激な衰退には、違和感を覚えずにいられない気持ちになります。
そもそも日本の輸出産業が潤っていたのは、何も高度経済成長期だけの話ではなかったようです。
たとえば貿易摩擦といえば、何よりも戦後の自動車産業が思い浮かびます。
ところが実は、戦前の日本も世界のあちこちでバチバチと摩擦を起こしていた事を、最近になって知りました。
維新後の日本の主要産業は、生糸に始まって絹・綿織物業へと発展し、昭和初期にはとうとうイギリスを抜かして脅威の対象になっていたそうです。
(戦後、潰されちゃいましたが・・・)
そして驚く事に、この織物業にも あの「トヨタ」が関わっていたという事も、最近はじめて知りました(恥ずかしながら)。
トヨタは自動車メーカーとして躍進する以前にも、かつては最新の織機を開発する事で、日本の主要産業を支えていたのですね。
その性能の凄まじさは、あのブロック経済下の関税障壁をも突破する、品質と価格を誇っていたというから驚きます。
それを知ると、ますます今の「脱炭素社会」という胡散臭い政策による、有無を言わさないような電気自動車推進の動きに負けないで欲しい・・・と心から願うばかりです。
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