「花婿の寝言」は、最初はただの呑気な喜劇のようで、いつの間にか人間ドラマに引き込まれている展開に驚きました。
これが底抜けに明るくて力強く、ウィットに富んでいて、ちょっとホロリとさせられる古き良き日本映画という感じです。
キャラたちは一見みんなバカっぽいのに、実はとても芯はしっかりしていて秩序と安定があり、じんわりと気分が落ち着きます。
このような理想郷を、フィクションとはいえ映像に再現できるという当時の日本の底力さえ感じました。
登場人物たちの会話からは、他人をマウントする事なく、穏やかに和解するテクニックのようなものを教えられます。
喜劇がベースでありながら、けっこう深い人間ドラマを展開してしまう所などは、大人でも十分楽しめる渋さがあり、他愛もないストーリーのように見えて実はかなり洗練されていると思いました。
甘い新婚生活に浸る夫、小峯(林長二郎)
坊っちゃん育ち風の小峯は、まだ新婚という事もありますが、毎日新妻とイチャイチャ・デレデレしてばかりいる“甘~い”夫です。
趣味は“妻を写すために購入した”カメラだし、妻と離れなければならないので「出勤したくな~い」などと言います。
ところが、そのバカップルな様子とは裏腹に、友だちの田村(小林十九二)に対してはなかなか強気な態度を見せます。
さんざん待たせた挙げ句に、もう一緒に通勤するのはやめようと言われたら「秘密をバラすぞ」などと言って脅しをかけたりする、バカなのか賢いのか、はっきり掴めないようなキャラです。
どうやら小峯は、甘いだけの男ではないという事が次第に分かってきます。
それは、女中や酒屋の小僧から漏れ出した“奥さんが毎日昼寝をしている”という噂が、小峯の耳に入ったあたりから表面化してきます。
小峯は豹変して、新妻を離縁するとまで言い出します。
この辺の感覚は、ちょっと今ではしっくり来ないものがありますが・・・。
主婦の昼寝がアウトなら、現代の妻は相当だらしがないという事になってしまいそうです。
林長二郎さんの出演している映画
怪しげなエセ心霊術師、三宅(斎藤達雄)
小峯は、怪しげなエセ心霊術師・三宅に狙われています。
三宅は酒屋の御用聞きの小僧に聞き込みをしたり、“覗き”をしたりして、日々めぼしい顧客を物色しています。
「心霊術研究所」という店も構えていて、自らを所長とかドクトルとか呼ばせたり、“ちょっとした病気”なら治せると豪語しています。
あくまでも“ちょっとした”という所がポイントで、大病は無理らしいです。
この三宅に小峯の奥さんの昼寝の事が知れて、目をつけられてしまいます。
三宅はまず田村の奥さんに近づき、私の活動は社会貢献なのだから安心して相談しなさい、などと言って小峯の奥さんとの間を取り持ってもらおうとします。
斎藤達雄さんの出演している映画
新妻の昼寝が大問題に発展
小峯の極端な様子はほとんど常軌を逸しているように見えますが、妻の昼寝が発覚した事で逆上した小峯は「別れる」と言い出します。
更に運悪く、ケンカの最中に小峯の母親が来てしてしまい、離婚話は現実味を帯びてきます。
母親がさっそく妻の父親に連絡を入れたため、双方の親まで現れて大騒動になってしまうのでした。
ところが親同士が話をしているあいだに、当の新婚夫婦は原因がわかって仲直りしていました。
小峯の寝言がひどくて、妻は不眠症になってしまったらしいのです。
ところがその理屈は親には通用しません。
問題は両家の意地の張り合いにすり替わっており、本当に小峯の寝言が深刻かどうかという“事実の証明”が無ければ、お互いに引き下がる事が出来なくなってしまったのです。
この困り果てた状況に、女中が気を利かせて田村の奥さんへ知らせに行ったらしく、彼女は三宅を引っ張って来ます。
親たちが「今すぐ寝て寝言を言うかどうか証明しろ」などと無茶な事を言うので、やけくそになった小峯は三宅の催眠術に引っかかった振りをする事にしました。
ここで小峯は、寝言を装ってお互いの親を戒めてやります。
その物の言い方が、自尊心を尊重しつつ、それでいて厳しく、自発性を誘発しながら、実に上手な説得で、小峯は甘いように見えても本当はしっかりした男なのだという事が分かるのでした。
しまいには「こういう手合いの詐欺師には気をつけなさいよ」などと言って、エセ心霊術師まで追っ払ってしまいます。
五所平之助さんの監督映画
1935年公開
舞台となる郊外の和風の一軒家や、原っぱや丘からの眺め、商店街などのロケ中心の風景は、今見ると懐かしいような赴きがあります。
それからもう一つ気になったのは、この映画全般に流れている“心の余裕”です。
まず、小峯の通勤風景の呑気さに驚きます。
会社に出かける前の朝の時間に、奥さんとイチャイチャする時間がある上に、田村と待ち合わせして一緒に出かけるという、とんでもない余裕です。
いい天気だからといって、写真を撮ったりもします。
さすがに田村は痺れを切らしている様子ですが、更に帰り道も一緒というのが、ここまで来るともう不思議です。
今度は田村の方が夕食の買い物をするので、ここでもまた寄り道です。
昔の映画では親子で一緒に出勤という光景は時々見かけますが、こんなにも緩やかで長閑なカルチャーがあったとは驚きです。
小峯の家は女中さんがいるので、奥さんとのおしゃべりを楽しむ余裕があり、田村の方は一緒に料理を手伝うという妻孝行ぶりを発揮しています。
考えて見えば、彼らの家にはテレビが無いわけです。
もしかすると、テレビなんてものが無いだけでも、じつは心の余裕が残るのかもしれないなあ、なんて思いました。
もちろん、それだけではなく労働時間がとんでもなく今とは違うのでしょう。
実際の統計など見なくても、その違いはこの映画の空気から伝わってきました。
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