「満員電車」は、不況と就職難にあえぐ若者の奮闘を描いた風刺コメディドラマです。

この作品に描かれている風刺は現代にも通じる事ばかりで、実はほとんどの問題はこの頃すでに種が撒かれていたな・・・という事がよくわかります。

このあと空前の経済成長が起こった事で、いったん沈静化したかのように見えたものの、ふたたび不況になると潜伏していた問題が一気に露呈してきた。
という感じでしょうか。

感覚がマヒして精神を蝕まれている事にも気付がず、面白くも何ともない毎日を送る人たちを見ていると、なにか頑張る方向を間違えているような気がします。
次々と繰り出される風刺には思い当たるフシが多く、ちょっと怖いくらいでした。

ドライなようで実は熱い男、茂呂井民雄(川口浩)

社会は超・就職難なのに、大学生は増える一方という就職氷河期の時代。

茂呂井民雄(もろいたみお)は、最高学府を卒業してビール会社に無事 就職が決まったものの、その実態は恐るべき「安サラリーマン」でした。

彼は生涯収入や、そこから差し引かれる支出の全てを計算し尽くし、定年まで見据えたりする「超」現実主義なのですが、決してシニカルにならないのが彼の良いところです。

普通なら毎日の単調な仕事、出世の見込みの無さ、そして人生の大半を企業に捧げたところで、55才にはただ放り出されるだけ(当時は年金はありません)・・・
なんてライフプランを知ったら、絶望的になったり投げやりになりそうなものだし、そもそも怖くて計算などできないものですが、彼は現実を直視しつつ前向きに頑張ろうとします。

とはいえ過酷な現実が、彼を次々と苛みます。
彼は優秀なので、単純作業など朝一番で終了させてしまいますが、上司に
「困るね君、仕事は決められた就業時間を守らないと社の合理性が崩れるよ」
と注意されてしまいます。

工場内で、大量のビール瓶がレーンの上を流れていくオートメーションの光景と、従業員たちのイメージが、だんだんダブって見えてくるようです。

茂呂井はそれでも決して弱音を吐きませんが、身体は正直なもので、彼の体調は少しづつ壊れていきます。
最初は原因不明の歯痛に悩まされますが、不思議と就業時間が過ぎるとケロっと治ってしまいます。

ところが今度は膝が痛み出し、仕方なく診療所に行くと「原因不明なのに」おしりに注射を打たれます。
すると今度はおしりが痛みだしますが、これがひどい痛みで膝の痛みを忘れてしまうくらいです。

西洋医学の対症療法と副作用の問題点が、この頃すでに指摘されていて驚きます。

しまいに彼は「総白髪」になってしまいますが、それでも自分の精神が悲鳴をあげている事に気付く事はありません。
負けるもんか!と、あくまでも「前向きに」突っ張る姿には、悲壮感とともに愛おしさのようなものが湧いてきます。

野心家の医学研究生、和紙破太郎(川崎敬三)

茂呂井はお金も暇も無いので、実家に帰る事もままなりませんが、ある日 彼は突然「母親が発狂した」という知らせを受けます。

飛んで帰りたいのは山々ですが、就業規則に縛られてそうも行かない彼は、母校に助けを求めます。

依頼を受けてやって来たのは、医学研究生の和紙破太郎(わし わたろう)という青年です。
彼は茂呂井の代わりに郷里へ赴いて、母親を診断する事を引き受けてくれました。

和紙は茂呂井の実家で父親に会いますが、母親はふだんは愚痴っぽくて陰気な人だったのが、最近妙に笑い上戸になったのだと言います。

父親は昔気質の実直な人で、本職の時計職人のかたわら県会議員も務めています。
ところが最近では地元の人たちの利益よりも、予算の獲得を優先させる政治のあり方に、嫌気が差している様子です。

和紙は父親が地元の有力者と聞くや、奥さんの病気は早く治療する必要があるとか、じつは潜在的な精神病の患者は多いんだとか、今はこの分野の治療は遅れていて患者が困っているという話を始め、父親の協力を得ようとし始めます。

医学研究生の和紙は、家が貧乏なうえ実力もありませんが、野心的な男で常にチャンスを狙っていました。
そんな彼に、茂呂井の父親は利用されてしまうのでした。

「満員電車」に乗り遅れまいとする人々

和紙の話では、じつは発狂したのは母親ではなく、父親の方だったと言います。
茂呂井は慌てて父親の元を訪れますが、もちろん父親は狂ってなどいません。
(相当 変わってはいますが・・・)

理由を聞くと、父親は好んで精神病院にいるのだと言います。
「今は世の中が狂っている。
だから、ここにいる方が居心地が良い。」
という父親のセリフは、無茶苦茶ながら何か考えさせられてしまいます。

父親の後援を得て、新しい精神病院の立ち上げを目論んでいた和紙の口癖は
「三段跳びで成功するんだ」
でしたが、彼はあっけなく交通事故で亡くなってしまいます。

実直すぎても行きていけない、ずる賢く立ち回っても結局は崩壊、ではどうする・・・?
という感じですが、この後も茂呂井は決してくじけません。

事故に遭って1か月無断欠勤した事が理由で会社をクビになり、再就職の口は無く、職安に通う日々の中で、茂呂井は離れ離れになっていた恋人に出会います。

経済的な理由で結婚できずにいた彼女は、人員整理に遭って生活できなくなり、他の男性と結婚していました。
それでも生活が成り立たず、彼女もまた職安に通っているのでした。

職安の中で失業者たちの行列に もみくちゃにされながら、二人はさめざめと泣きます。
ちっともドラマチックじゃないシチュエーションなところがリアルで、かえって泣けてしまいます。

市川崑さんの監督映画


1957年公開

1957年といえば、高度経済成長の幕開けといった頃ですが、まだまだ生活苦の庶民が溢れていた様子が描かれていました。

ところが長い年月を経た現在も、この映画で指摘されている問題点が何も解決されていない事に、あらためて驚かされます。

工場に出勤する様子は、チャップリンの「モダンタイムス」のデスクワーク版みたいだし、
「機械が動いている間は、休めないようになっている」
というセリフには、人間は巨大なオートメーションの歯車で、いくらでも代わりがきく存在という意味が込められています。

「潜在的な軽い精神病」というのが話題に上っていますが、ウツ病も顕在化して増加傾向です。
非人間的で異常な満員電車の様子(川口浩さんの迫真の演技が俊逸で、思わず笑ってしまうのですが)は、いつしか見慣れた光景になってしまいました。

むしろ、この頃のような批判精神すら薄れて「こういうもんだ」と諦めてしまい、麻痺状態になっている事に危機感を覚えます。

ラストに茂呂井は、最高学府卒という高学歴を利用して家庭教師を始めますが、その発想は「逆・学歴詐称」をしてまで小学校の用務員という「サラリーマン」業にしがみつくより、よっぽど良い選択肢だと思いました。

いくら世の中がおかしかろうが、文句を言っても始まらない。
「本当の反骨精神とは、行動あるのみ」なのだというメッセージが伝わってきました。


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