「ビルマの竪琴・総集篇」は、悲惨を極めた戦場で、ひとりの兵士が見た「地獄」を描いた物語です。

戦争という題材を扱っていながら、静けさと美しさが漂い、強く胸を打たれるような作品でした。

主人公のセリフが極端に少なく、音楽を通して意思の疎通をする様子からは、彼が目に見えるものを超越した存在を感じている事を表しているようです。

そして抽象化された神秘的な仏像と、広大な大自然の映像は、まるで人智の及ばぬ「大いなる存在」を感じさせます。

その大いなる存在が、はるか遠くのビルマの地で日本とイギリスが戦うという不条理さや、悲惨を極める人類の苦しみを物ともせず、淡々と呑み込んで行くように見えました。

音楽的な才覚を持つ、水島上等兵(安井昌二)


1945年7月、ビルマでも日本軍の戦局は悪化し、何とかタイへ逃がれようとしている隊があります。

この部隊は隊長の井上が音楽家で、彼は部下の士気を上げるため隊員たちに合唱を教えていました。
今となっては、歌は苦しくて心が折れそうな時も、彼らを救う存在となっています。

水島上等兵はもともと音楽の天分があったらしく、ビルマの民族楽器である竪琴の名手で、楽器の自作から編曲までも手掛けます。
彼は皆から可愛がられている感じで、斥候へ向かう時に民間の服をまとうと、現地人と見分けがつかないくらい地元に溶け込んでしまいます。
そして竪琴の曲目を使い分ける事で、安否の合図をするのでした。

彼らは常に「飢え」と戦っていましたが、立ち寄った部落で珍しく歓待を受けます。
しばしの休息を味わう事ができたと思いきや・・・じつはそれは罠でした。
住民たちが急に去り始め、隊員たちは敵に包囲されている事を知ります。

いよいよ決戦か・・・という緊張感の中、彼らはカモフラージュのため「気がついていないフリ」をし始めます。

歌ったり笑ったりと演技しながら、外にある火薬の積荷を回収しようと試みます。
水島は、得意の竪琴で「埴生の宿」を奏でました。

ところが その旋律に呼応するかのように、敵兵が歌い始めるのです。
「埴生の宿」は、もともと敵方であるイギリスで親しまれているイングランド民謡なのでした。

一体何が起こったのか理解できず、隊員たちは戸惑います。
敵兵たちは徐々に包囲網を縮めてきつつ、合唱の歌声にはだんだん魂がこもってきます。
水島は思わず竪琴を手にとって再び奏で始め、隊員たちも加わって大合唱になります。

緊迫し切った戦場に、両陣営の合唱が鳴り響くという、鳥肌の立つような美しい光景が広がるのでした。

安井昌二さんの出演している映画


部下思いの隊長、井上(三國連太郎)

不可解な現象の種明かしは「停戦」でした。
井上部隊は投降し、日本が降伏した事を知らされます。
井上は、これからどういう事になるのか全く分からないが、心を一つにして乗り切ろうと隊員たちを励まします。

そんな井上に、英軍から要求がなされます。
それは投降勧告に応じず、山に立て籠もって徹底抗戦の構えをしている部隊へ赴き、説得を試みて欲しいという話でした。
井上は、普段から斥候を担っている信頼の厚い水島に、その役目を託します。

水島は、一人でも同胞の命を救いたくて必死でした。
ところがこの部隊は勧告を頑として聞き入れず、水島を「腰抜け」と罵ります。
説得は失敗し、この隊は殲滅させられ、水島も帰らぬ人となったのです。
英軍は水島の捜索はしてくれましたが、井上はどうしても水島の事が諦められませんでした。

しばらくして部隊が橋の修復作業に駆り出されているところへ、水島そっくりの僧侶が現れます。
皆は口々に「水島!水島!」と呼びかけますが、僧侶は知らぬ顔で立ち去ってしまいました。

井上には、何か感じるものがあったようです。
収容所に訪問してくる物売りのお婆さんの連れているオウムを買い取って
「水島、一緒に日本へ帰ろう」
という言葉を教え込ませたりして、何とか水島とコンタクトを取ろうと必死です。

その後も、水島アレンジで奏でられた竪琴の「埴生の宿」が聞こえたり
例の僧侶が日本式の「骨壷」を抱いているのを見かけたりして、
井上にはだんだん、事の次第が飲み込めてきたように見えます。

そんな井上の部隊に、なんと帰国が許される事になりました。
もう猶予は3日しかありません。
井上は例のオウムを僧侶に渡して欲しいと、物売りの老婆に託します。

そして最後の夜、収容所に例の僧侶が現れたのです。
彼は皆の呼びかけには答えず、竪琴で「仰げば尊し」を奏でると、そのまま立ち去ってしまいました。

三國連太郎さんの出演している映画


水島からの手紙

井上たちは収容所を出るとき、物売りの老婆から僧侶の手紙を受け取ります。
その手紙には、水島の思いが綴ってありました。

水島は抵抗を続ける部隊への説得に失敗し、彼らの殲滅を目の当たりにしました。
心は打ちのめされ、傷も負いましたが、とにかく仲間たちと合流しなければなりません。
逃亡兵と間違えられないように僧衣をまとうと、アテもなく歩きはじめます。

ところが彼は、収容所へ向かって放浪するうちに、数々の戦場跡を見る事になります。
そして、どこへ行っても遭遇する無数の亡骸を見て、ショックを受けます。

はじめは彼も、皆と一緒に帰国するつもりでした。
ところが偶然目にしたある光景に、逃れられない運命のようなものを感じたのです。

それは英軍の病院で亡くなった同胞が、手厚く葬られている光景でした。
その様子をみた途端、彼は仲間のいる捕虜収容所を目前にしながら、もと来た道を戻り始めます。

水島は戦場跡へたどり着くと、打ち捨てられた同胞の亡骸を、埋葬しては祈りを捧げます。

お墓の穴を掘っていると、彼はそこに大きなルビーを見つけますが、それを見た土地の人は
「こんな場所にルビーがあるのはおかしい、これは死んだ人の魂だ」
と言います。
水島は霊魂の存在を確信し、ルビーを愛おしげに懐に抱きます。

最初かれは「敬礼」によって悼みを表明していましたが、だんだんそれは「祈り」に変わって行きます。
かれは僧衣をまとっているだけでなく、心までだんだん僧侶のようになるのでした。

水島も最初は、仲間たちと同じように日本へ帰る事を楽しみにしていました。
焦土と化した本国へ帰っても困難が待ち受けている事は承知で、仲間とともに祖国の為に働きたいと心から望んでいたのです。

それでも、成仏できずにいる沢山の同胞の霊魂を残して去る事は、どうしても出来なかったのでした。
たとえ目には見えなくても、彼にはそれが感じられたのではないでしょうか。

市川崑さんの監督映画


1956年公開

この映画は、戦後から約10年の歳月が経ち、神武景気といわれる好景気を経て、経済白書には「もはや戦後ではない」という戦後復興の完了宣言がされた年に公開されています。

若者の間では「太陽族」といったチャラい気分が流行していた頃のようです。

こういう時代に、あえて「インパール作戦」や戦没者の弔いを扱ったこの作品は、ちょっと時代錯誤な感じだったのではないかと思います。

ところが映画は大いにヒットし、日本の映画史に残るような有名な作品となりました。
(といっても、知名度が高いのは1985年にリメイクされた方のようです)

この作品に描かれているのは、戦場の悲惨さそのものよりも、そこに居合わせた一人の男の「心情」だと思いました。

そして水島が取った行動は、どこか日本人の共感を呼ぶものだったような気がします。

彼は激戦地に残された同胞の亡骸の群れに出会い、最初は目をそむけていました。
でも、そのうち埋葬をして供養をするようになり、次第に魂の存在を意識するようになります。

この悲惨な現実に、怨念を募らせる事なく、虚無感に襲われるのでもなく、刹那的になって快楽に走るわけでもありません。
ただ同胞の死を悼み、少しでもその魂を慰めたいという気持ちに駆られて行くんですね。
ここが何とも日本人らしく、まるで自然災害にでも遭ったような運命の受け止め方をしています。

多くの日本人は、特定の宗教に属しているという自覚を持っていないかもしれません。
なのに こういう主人公に対して、多くの人が共感を覚えるというのはどういう事でしょうか。

本当は魂や霊魂の存在を信じ、それを尊重する心情が、言語化こそしなくても「備わっている」というのが、日本人の特性なのではないかと思うような作品でした。

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