サービス業に従事していて辛くなるのは、他の仕事と比べて労働条件などの待遇が悪いという事だけではないような気がします。
お客さんに横柄な態度を取られたり、理不尽に悪い感情をぶつけられたりする中で、そのうえ上司からも無理難題を強いられたりすると、本当に一人ぼっちな気分になります。
では同じ業務をしている仲間とは分かり合えるかと思いきや、今度は嫌な仕事の押し付け合いのような部分があって、自分だけ分が悪い気がする時はやっぱり孤独なものです。
接客業をする事になったら、どんな理不尽な仕打ちにも ただ黙って耐えなくちゃいけないの?という疑問が沸いてきます。
「お客様は神様」ではない!
接客業を辛いものに変えてしまった事の一つに「お客様は神様です」なんてセリフが流行し、妙な先入観を植え付けられてしまった事が考えられると思います。
これって、サービスを提供する側が損得づくで媚を売り、奴隷のように客に仕えている図が浮かんで来てしまいます。
でも実は、これって客側にとってもあまり嬉しくないような気がします。
だから、ちょっとでも店員などが間違えただけでスイッチが入り、過剰に怒りを爆発させたりするのではないでしょうか。
そこには媚を売るような態度が表面的なものだという前提があるため、店員が客の要望に答えられないときに「本性を表した」という感じがしてしまうような気がします。
もっと言うと、客の中には店員は奴隷同然の地位なので、礼儀を欠いても良いと思っている人もいるかもしれません。
こういう環境の中で、モチベーションを保ちながらサービス業で働く事って出来るのでしょうか?
お店が提供している「暗黙のサービス」
サービス業は、商品の販売ひとつ取っても「目に見えないサービス」を提供していたりするものです。
どちらかと言うと、時間やコストでは測れないようなものが本当の商品なのだと思います。
単純に表現すれば「親切」みたいなものでしょうか・・・。
ここを見誤ると「効率重視」だとか「品質の向上」という細かい事ばかりに気を取られてしまいます。
本当に相手の事を考えて、どうすれば相手が喜ぶのか試行錯誤して、その想いが伝わった時、喜びは双方に生まれるものです。
「与えると損をする」の嘘
サービス業の真髄は、人に喜んでもらう事です。
そのためにはスキルを磨き、知識を蓄積する事も大切ですが、もしかすると相手が喜んでくれる事だけを目指していれば、自然と技能は向上するのかもしれません。
そして本当に相手を喜ばせる事が出来たとき、利益を得るのはお客さんだけかと言うと、実はそうではありません。
心から相手に喜んでもらえた時、人は何かを受け取ります。
感動とか、エネルギー、癒やし・・・色々な表現が使われる事がありますが、それが仕事の真のモチベーションで、対価というのはもっと最低ラインのお話です。
だから一般的にはあまり社会的地位の高くないサービス業でも、従事する人の心ひとつで「誇り」を持つ事は可能だと思います。
映画「吹けよ春風」では、タクシーの運転手を生業にしている幸せな男の日常が描かれていて、働く意味が分からなくなったときに見ると元気が出て来ます。
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