「風船」は、殺伐とした世の中で虚無感に陥っていく人たちと、心のあり方に重きを置く者の葛藤が描かれています。
まるで外国のようになってしまった東京と、京都の昔ながらの温かみある こじんまりした様子が、対照的でした。
京都の人たちの古いものを大切にする生き方と、空襲に遭わなかったという結果から現在に至っている訳ですが、この頃の名残がまだ消滅していないと良いな・・・と思うような映画でした。
そして、価値観があまりにもかけ離れてしまった家族が、それぞれ東京と京都に分断されて行く結末には、戦後の日本社会が2つに分かれつつあるという示唆が含まれている気がしました。
第2の人生に迷う還暦の男、村上(森雅之)
村上は、還暦を迎えたカメラメーカーの社長です。
事業に成功して一財を築き上げ、子育ても一段落して、何もかも順風満帆といった風に見えます。
ところが彼は、なにか考えている事がありそうです。
村上は、かつて天才画家と謳われた頃がありました。
ところが彼は家庭を持ったとき、絵をビジネスにしたくなかったので、画壇を捨てて実業界に身を投じたのでした。
そして彼はいま、もう一度絵の道へと戻るチャンスを伺っているように見えます。
会社では、息子が若手部長として勤務しています。
ところが息子の圭吉は、愛人を囲ったり賭け事をしたりして、仕事に身が入っていない様子です。
秀才で、何でも卒なくこなすようなスマートな青年なのですが、
情熱の無い乾いた空虚さを持っていて、父親とは価値観が合わないように見えます。
森雅之さんの出演している映画
大切なものが見えている娘、珠子(芦川いづみ)
村上の娘・珠子(たまこ)は、小児麻痺を患ったせいで、肉体も頭脳的にも ひ弱です。
といっても彼女は、浮世離れしたような心の清らかさと、懐の深さを持った魅力的な娘で、物事の本質が見えているようです。
ところが兄の圭吉は妹の存在を軽んじているし、母親もまるで子供扱いという感じです。
珠子は、そんな家族たちの事をよく理解した上で、寂しさを心に秘めて明るく振る舞っています。
「わたし身体が弱いから、悪いことはしないわ。
でも、悪い考え方をする事はあるのよ。
だって仕方がないでしょ、もう二十歳ですもの。」
というセリフが印象的で、このキャラに惹かれてしまいました。
父親だけが彼女の良さを分かっているし、この2人はどこか似ている所がありそうです。
そんな彼女は、どういう訳か黙って兄の愛人である久美子に会いに、彼女の勤めるバーへと出向きます。
久美子の方は、苦言でも言われるかと一瞬表情を曇らせますが、予想に反して珠子はとても友好的です。
珠子がどこまで兄と久美子の関係を理解しているのかは分かりませんが、彼女は純粋に久美子の事が気に入ってしまったようです。
芦川いづみさんの出演している映画
それぞれの信じる道を貫く
久美子は戦争未亡人で、圭吉だけを頼りにしていました。
ところが圭吉の方では、単なる契約の上での関係として割り切っています。
他に気に入った女性が見つかると、契約を解消しようと言って彼女を切り捨てようとします。
ところが、久美子は違いました。
あくまでも真剣だった久美子は、睡眠薬を飲んで自殺を図ります。
この知らせを受けた圭吉は、久美子の反撃とも言える行動に怒りを感じます。
契約は契約だと主張して、あくまでも自分の責任を認めようとはしません。
いっぽう珠子は、徹夜で久美子に寄り添い、手当が済んだ彼女を眠らせない為に物語を聞かせ続けます。
そして絶望する彼女を励ます様子は、他の誰よりも頼もしいものがあります。
ところが久美子は、珠子の介抱の甲斐もなく二度目の自殺を図り、こんどは本当に死んでしまいます。
知らせを受けた村上は直ちに駆けつけようとしますが、圭吉はあくまでも自分の正当性に固執して、足を運ぶ事を拒みます。
圭吉のあまりの心の無さに、普段は温和な村上も怒りを顕にして、息子を張り倒します。
「死人に何が分かるものか」という息子と、その言葉に違和感を覚える父親との間の違いは、魂への信仰という根源的な所にあるようです。
村上は息子の所業の責任を感じ、彼を解雇して、自分は経営から身を引く決心をします。
とはいえ、この事件はきっかけに過ぎなかったようです。
以前から彼の中で燻っていた問題が、ようやくクリアになってきたように見えます。
そして村上の奥さんは、そんな夫に付いて行く気はありませんでした。
というか奥さんをはじめ、誰一人として村上の行動を理解できる人はいません。
人は子供が成人する50とか60才あたりで「第二の人生」を歩み始めなければ、70や80才になってからでは遅すぎるのかもしれない・・・
などと思ったりしました。
結局この家族は、それぞれの信じる道を貫くために、2つに分かれるしかありませんでした。
川島雄三さんの監督映画
1956年公開
映画には、高度経済成長の初期の様子が描かれています。
日本の独立回復から5年経っているわけですが、東京の高級店や都心のマンションはアメリカ人ばかりです。
そして、しっとりとした京都の町中で、労働争議の若者たちが
「わっしょい、わっしょい」とデモ活動をする様子が、当時の世相を伝えています。
衣装が、森英恵さんが手掛けているというのも興味深いところでした。
どうりで北原三枝が演じる「ミッキー」の独特で洗練された出で立ちには、心惹かれるものがあります。
上海帰りのシャンソン歌手という、彼女の数奇な生い立ちを現しているようでした。
そして村上が京都で訪れるバーは、木屋町にあった「おそめ」という伝説のバーでのロケ撮影だったそうです。
川口松太郎が書いた小説「夜の蝶」のモデルだったという名物マダム・上羽秀さんも、映画に登場しています。
言われてみれば、ほんの一瞬の登場にしては、どこか印象に残る人でした。
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