「春雷」は、単なる恋愛のもつれが刑事事件に発展したり、ひとりの女の人生を狂わせてしまうという、いわゆるメロドラマ的な映画です。

この映画の見どころは、何と言っても木暮実千代さん演じる自己中お嬢様の傍若無人ぶりです。
あまり友だちにはなりたくないタイプの女性ですが、無邪気でどこか憎めない魅力的なキャラで、間違っていようとも思ったままを貫く迷いの無さに好感が持てました。

この女性に見込まれた男は、さんざん翻弄されてボロボロになってしまいますが、彼女に惹かれる気持ちはどこか分かるような気がします。

嵐を巻き起こすお嬢様、英子(木暮実千代)

英子は、何不自由ない富豪の家に生まれた無邪気な令嬢です。
歌が得意で、音楽会を開いたりしながら取り巻きに囲まれて遊んで暮らしていました。

ところが父親の事業の失敗で事態は一変し、急に何の基盤もない状態で世間に放り出されてしまいます。
社会的地位を失った英子を支えてくれる者は無く、ただ一人家庭教師をしていた慎之介(夏川大二郎)だけが誠意を示してくれました。
英子は使えるものはとことん使う性格で、たちまち慎之介の家へ転がり込んでしまいます。

ところが、慎之介には許嫁がいるのでした。
慎之介はちょうど彼女を迎えに出向いた駅で、偶然出くわした英子に助けを求められ、許嫁とすれ違ってしまいます。
彼は英子の魅力に心変わりして、すれ違ったのを良いことに許嫁を捨ててしまうのでした。

英子は最初こそ しおらしくしていましたが、やがてお金を欲しがるようになり、とても慎之介の手に追える相手ではありませんでした。
英子を失いたくない慎之介は、思い余って横領の話に乗ったあげくにそれがたちまち発覚し、実刑を受ける事になってしまいます。

ところが慎之介が出所した頃には、英子は歌手デビューを果たして有名になっていて、慎之介の事など忘れていました。
ハッキリとは表現されていませんが、どうやら複数の男性の間を渡り歩いているようなニュアンスで、慎之介と暮らしていた頃の愛情は失われていたのです。

木暮実千代さんの出演している映画


大和撫子的な許嫁、志津子(川崎弘子)

慎之介の許嫁・志津子は、慎之介だけを頼りに青森から遥々東京まで出てきたのでした。

待ち合わせ時間に間に合わなかった為、直接慎之介のアパートを訪問した彼女は、そこで英子と鉢合わせしてしまいます。
英子がライバル心を燃やして冷たくあしらったため、志津子はショックを受けてその場から退散してしまいます。

じつは志津子はいけ好かない男・俊雄に付きまとわれていて、こんどの上京の際にも追いかけられていました。
志津子が振られた事を知った俊雄は、絶好のチャンスと彼女を自分のものにしてしまいます。
志津子はそのまま故郷へは帰らず、不本意な人生を歩み始めます。

志津子は今の女性から見たら違和感のあるようなキャラで、ちょっと部屋に女が居たからと言って諦めた割には、その後も彼を許し想い続けるのです。
振られたショックからとはいえ、毛嫌いしていた俊雄と付き合うというのも、どうにも共感できないものがあります。

川崎弘子さんの出演している映画


生まれ変わった慎之介と英子

慎之介は英子の裏切りに打ちのめされ、一方で志津子が変わらず自分の事を想っていてくれる事を知ります。
そして志津子から寄せられた本物の愛情に改めて触れた事で、心から後悔するのでした。

英子の方は歌手として華々しく活動していましたが、身近な人に色々と忠告をされるようになっていきます。
そして、どういう心境の変化かは詳しく描かれていませんが(古い映画なのでフィルムの消失かもしれません)慎之介への仕打ちを後悔し、真っ当に生きたいと考えるようになるのです。

彼女は改心したらしたで やっぱりパワフルで、あっという間に慎之介の居所を突き止めて懺悔をしに来ます。
懺悔しに来た割には妙に堂々としていて、どうすれば自分の罪が償われるのかを探り当てていきます。
慎之介は志津子の人生を狂わせた事に罪の意識があり、志津子が幸せになれて初めて、自分も英子も許されるのだと言います。

ここからはもう英子の快進撃で、さっそく志津子を訪ねて名乗りを上げ、彼女に懺悔します。
そして、彼女がお金で俊雄に縛られている事を聞き出すや、俊雄を説得した上にお金を払い、二人を別れさせる事に成功します。

お嬢様パワー恐るべし・・・よくわからないけど勢いのある説得で、皆を納得させてしまうのです。
なかなかハチャメチャな展開だとは思いますが、何故か英子が許せるような気分になるのが不思議です。

1939年公開

1939年といえば、映画も地味になり始める頃ですが、この映画は純粋なエンタメぶりを発揮しています。
木暮実千代がアイドルのように歌謡曲を歌うシーンも盛り込まれていますが、戦前とは思えないキャッチーな曲でした。

生活に困窮して女給になってしまった志津子が、満州へ流れて行こうとする場面が出てきますが、この頃は大陸へ渡るのは外国へ行くという意味ではないんですよね。
かの地が本国より発展していたという話はよく聞きますが、当時はこうしてお金に困った人間が割の良い職を求めて満州へ旅立って行ったのだなぁ、という歴史が映画に映し出されています。

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