「挽歌」は、妻子ある男を好きになった若い娘が、心のバランスを保てなくなって行く物語です。

昔ながらの日本文化を愛する私としては、正直こういう欧米的な個人主義は受け入れがたいものがありました。
さんざん男の家庭を掻き回したヒロインは、結局 奥さんの死を見てやっと満足したように見えます。

このストーリーは、フランソワーズ・サガンの小説「悲しみよこんにちは」を思い起こさせる展開で、当時の日本のヨーロッパ文化への強い憧れを感じました。

登場人物たちの暗さや、それぞれの自分勝手な振る舞いが気になりましたが、当時としては この自由な感じが逆に斬新だったのかもしれません。

ところが この作品は、残酷なストーリーとは裏腹に、とても情緒豊かに描かれています。
閑散とした町並みの風景とメランコリックな音楽が、独特の郷愁を持っていて、心の深いところに入ってくるようです。

残酷性を秘めた繊細な娘、怜子(久我美子)


怜子は少し頑な性格で、引きこもりがちな生活を送っています。
聡明で鋭い感性を持っているのですが、いつも どこか暗く沈んだ気分が拭えずにいます。

彼女は母親がいない上に、関節炎を患ったせいで硬直してしまった右腕に、コンプレックスを感じているのでした。

怜子の父親はそんな娘を不憫に思い、お見合いの話ばかり持って来たり、優しく甘やかしてくれるだけの存在で、彼女を制するのは「ばあや」の小言くらいです。
こうして、ただでさえ鼻っ柱の強い怜子の性格は、増長するばかりという感じです。

怜子はある日、犬に手を噛まれて怪我をしてしまいます。
犬の飼い主である中年の男性は「気性の荒い犬ではないので油断した」と怜子に謝り、それがキッカケとなって怜子と親しくなります。

怜子はこの男が気になり、招待されていた事もあって、彼の家を訪ねます。
ところが そこで彼女は、美しい奥さんが何やらコソコソとした様子で、若い男性と密会しているのを見てしまいます。
怜子の男性への興味は、この事で決定的になるのでした。

久我美子さんの出演している映画


自分の殻に引きこもる男、桂木(森雅之)


怜子が出会った男は、桂木という建築技師でした。

どうやらこの夫婦は訳アリの様子で、桂木はとても暗い表情をしています。
桂木が怜子に近づくのも、家庭が上手くいっていないからかもしれません。

怜子と桂木は、徐々に近づいていきます。
ただそれが純粋に惹かれ合ってというよりは、怜子の挑発で桂木がそれに乗るといった風な「いびつ」な形で進行していくのです。

怜子は桂木に“コキュ(=寝取られ亭主)”と言ったりして傷口をえぐり、桂木は大人の男の強引さで若い怜子を翻弄します。
いつも二人の間には、桂木の妻「あき子」という、壁なのか絆なのか分からないような、重たい存在が横たわっているのでした。

あき子にとっては「過去の過ち」であり、彼女は桂木とやり直したいと思っています。
ところが桂木は、あき子の不貞がどうしても許せません。
あき子に心を閉ざし、それでいて責めようともしないのです。

小さな子供がいるせいかもしれませんが、許そうともしなければ別れようともせず、ただ あき子を縛っているように見えます。

森雅之さんの出演している映画


怜子の秘めた愛と憎しみ

玲子の興味は桂木だけでは飽き足らず、彼女は桂木の妻・あき子にも近づいていきます。
あき子は美しくて優しくお上品で、玲子は彼女に夢中になります。
それでいて玲子は、わざと家を訪問したりして家庭を撹乱させたりします。

桂木は最初こそこの行為に腹を立てますが、彼は家庭をこのまま維持していくつもりもないようです。
彼は出張先へ訪ねてくれた玲子に、親に会って欲しいとか、結婚しようなどと言います。

ところが玲子の側では、それを望んではいませんでした。
その様子は、まるで「あき子のものだから」 桂木を欲しがってでもいるように見えます。
こんな生活を続けるうち、二人の事があき子にも知れてしまいます。

そして あき子のショックを見る玲子は、どこか嬉しそうにすら見えるのでした。

五所平之助さんの監督映画


1957年公開

日本には欧米文化への憧憬が根強くあるようですが、日本にも だんだんその感覚が馴染んできた気がします。
1950年代のこの映画で既に、ヨーロッパ的な雰囲気が巧みに表現されていると思いました。

まず、ロケ地 釧路の風景が素晴らしいです。
北海道は大自然はもちろんの事、やっぱりどこか異国情緒があります。
そして音楽がロマンチックで美しいのも特徴で、映像にマッチしています。

他にも、アマチュア劇団というコミュニティ、人の良いマスターのいる赴きのある喫茶店、歌声喫茶のようなバー、阿寒湖の畔のホテル、坂のある街の風景など、異国的な雰囲気を醸す情景やアイテムが盛り沢山でした。

【ちょっと余談】釧路の美しい情景を求めて

この映画の物悲しくて美しい情景を求めて、釧路の地へと旅したくなりました。

そこでロケ地や旅行先を探してみたのですが、既に釧路の町は相当 開発が進んでいて、当時の面影を見出せそうにありませんでした。
本当は、まだ様々な観光名所が残っているのかもしれませんが・・・

ちょっとガッカリして諦めかけていましたが、どうやら北海道の大自然だけは、映画の頃とあまり変わってなさそうです。
本州とは違った澄んだ空気と湖の青さは、どこか異国情緒を漂わせるような北海道の魅力です。

特に主人公の2人が、恋の逃避行をする「阿寒湖」の風景・・・
朝もやの立ち込める湖畔の風景が、幻想的でロマンチックだと思ったのでした。

そう思い直して、釧路から離れて阿寒湖で調べてみたら、やっぱり良い雰囲気です♪
旅館は「あかん鶴雅別荘鄙の座」という所が、いちばん素敵だと思いました。

ロケーションが良いので、阿寒湖の風景を堪能する事ができそうです。

コメント

    • bakeneko
    • 2019年 4月 19日

    達巳
    あき子は、なぜ浮気相手に彼を選んだのか?.
    若い男の子が、夫と子供のある年増の女に、結婚を望んだりはしないであろう、と考えたのではないのか.
    『あなたが学業を休んでいるのが一番辛い.学校へ戻りなさい』と言うあき子に、
    『一人じゃ嫌だ.一緒にどこかへ行こう』、達巳はこう言った.
    が、例えば子供をどうするつもりだったのか、彼があき子との結婚を真剣に考えたとは思えない.

    『桂木に話をつけてやる』、彼はこう言ってあき子の家まで押しかけてきた.
    先に結論になってしまうのだけど、達巳はあき子との不倫を自慢していたが、あき子との結婚を真剣に考えていたとは言えない.
    『桂木に話をつけてやる』、何を話すつもりだったのか.
    『お前は俺に、妻を寝取られた男だ』、COCU、コキュー、妻を寝取られた男.彼が桂木と話をするということは、結局こう言うことなのです.

    桂木
    怜子と阿寒湖のホテルに泊まったとき、彼は怜子が散歩に出ているときに、父親に電話をした.
    今後どうするのか、なぜ、怜子と相談しなかったのか?.

    桂木も然り.父親に電話をする行為は、達巳があき子の家に押しかけてきて『桂木に会わせろ.話をつけてやる』と言ったのと同じ行為であり、不倫を自慢した行為と言ってもよいはず.結婚を真剣に考えたのなら、先に怜子と相談すべきである.

    怜子
    達巳は家まで押しかけてきたが、桂木には会わなかった.
    桂木は父親と会って話をしたが、怜子の家まではこなかった.
    怜子は、あき子に嘘をついて、桂木の家まで押しかけて行った.
    結果として、その行為があき子を自殺に追い込んだと言えるであろう.

    さて、なぜ彼女は幹夫と言う結婚して当然の相手がいたのに、桂木と関係を持ったのか?.
    幹夫と結婚したならば、当然家庭生活を、料理洗濯と、いやそれよりもお金の苦労を、共働きをしなければならないかも知れない.
    それに対して桂木が相手ならば、そんな苦労は何も考える必要がない.
    彼女は桂木にはっきりと言った.『AMI(愛人)が良い』と.

    怜子は劇団の仕事もお手伝い程度で、真剣に打ち込んでいたのではなかった.彼女は手が不自由なことを理由にして、自分の人生を真剣に考えようとしなかったのである.

    不倫が良いとか悪いとか言うつもりはない.けれどもこう考えてくれば分るはずである.
    あき子は自分の不倫を夫に詫びたが、怜子、桂木、達巳の3人は不倫行為を自慢していると言ってよい.幾らかでも恥じるところがあれば隠すであろうが、そうではないのだ.
    自分の人生を真剣に考えれば、不倫という行為を自慢することは無かろう.もし怜子が秘密にしていたならば、例え夫の不倫を知ったにしても、あき子が自殺したとは思えない.
    何をするにしても、幾何かでも、自分の人生を真剣に考えて欲しい.....

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