「安宅家の人々」は、知的障害を持つ事業家の跡取りを取り巻く、二人の女を描いた物語です。
知的障害というと、これまでは生まれながらに十字架を背負った気の毒な人々というイメージを持っていましたが、この映画ではまったく違っていました。
その人は自由な精神を持った「ご機嫌さん」で、慈悲深く、死者と対話も出来てしまうスピリチュアルな感性もあり、魅力的なキャラクターとして描かれています。
苦悩と戦うどころか、むしろ愛情豊かな幸せ体質で、単に社会の枠に収まり切らないだけなのだという事を教えられます。
そして何と言っても心惹かれたのは、事実上事業を継承した妻と、その義妹との友情というか、相互理解の深さです。
しがらみを越えて志を共有する全くタイプの違う二人が、固い結束で結ばれるラストは、女性の持つ底力を感じさせます。
これまでの『働く女性』は、女らしさを押し殺して歯を食いしばって男のように仕事する感じでしたが、これからの女性は むしろその特性を最大限に活かす事が必要なのだと思いました。
そして それこそが本当の「女性の時代」で、これから先は共生と調和の時代になっていくような未来像が描かれていると思いました。
天真爛漫な主婦、雅子(乙羽信子)
雅子は、一見おとなしそうな人ですが、じつは自由奔放な感性を持っています。
彼女は夫の事業の破綻により、養豚所を営む義兄の家で世話になる事になりました。
義兄の宗一(船越英二)には知的障害があって、妻の国子が事実上の支配人なのですが
国子はやり手の女経営者という感じで、雅子夫妻の受け入れには相当警戒をしている様子です。
ところが雅子と宗一はどちらも開放的な性格で、二人はたちまち意気投合してしまいます。
雅子がお近づきの印にとプレゼントした「ハト時計」もビンゴなチョイスだったらしく、宗一はメチャクチャ喜んでくれますww
宗一はときどき沈んだ様子になるのですが、雅子がその訳を訊ねてみると
どうやら彼には、いろいろとノルマや禁止事項があるようです。
そして何か間違うたびに、国子の表情は険しくなるのでした。
宗一のただ一つの気掛かりは、そんな国子の苦しそうな様子です。
その度に彼は心を痛め、だんだん萎縮するようになって行ったらしく
「僕、頭が弱いからね」というのが、彼の口癖になっています。
一方で雅子は、人の目など全く気にならないし
読めるかどうかなど気にせず、小説「坊っちゃん」にトライさせたり
汚れるとか関係なく、白が似合うんだから白いセーターを編んであげたりして
宗一の縛られた生活を、だんだん解きほぐしていきます。
宗一は本来の明るさを取り戻すようになり、雅子も彼といると、童心に戻ったような楽しい気分になって来るのでした。
乙羽信子さんの出演している映画
教育ママのような妻、国子(田中絹代)
雅子の見方と違い、国子にとっての宗一は
「あのひとは、本当に気の毒な人です」
という風に映っています。
ところが彼女を見ていると、気の毒なのは国子自身の事ではないかと思えてきます。
彼女はいつも、人に笑われないように、ナメられないように、
養豚所を人に奪われる事に怯え、心に鎧をまとっています。
宗一に対しても、ガチガチの義務感で奉仕するものの、
心の奥底では、怨念がチラついているようにも見えます。
実はそれもその筈で、二人の結婚は親が決めた形式的なものでした。
養豚所の継承を守る為に、先代の執事だった父親が、娘を犠牲に差し出したようなものだったのです。
国子は望まぬ結婚をさせられ、知的障害のある夫に代わって経営に身を捧げる義務を背負いました。
それは同時に、女としての幸せを諦める事でもあったのです。
雅子の夫・譲二(三橋達也)は、宗一の腹違いの弟です。
彼は事業を起しては潰し、遺産を使い果たした挙げ句に、兄の財産に目をつけている様子です。
他にも親類や、国子の実の妹までもが安宅家の財産を狙っていて、国子は事業を守る事に必死です。
とても宗一に愛情を注げるような心の余裕は無く
少しでも世に立てるようにと、彼を缶詰状態にして知識を蓄えるべく、半強制的な生活をさせているのでした。
そんな国子も、オープンマインドで屈託のない雅子の前に出ると、緊張が解れてしまいます。
雅子は、国子の誰にも打ち明けられなかった思いを引き出し、その苦しみを理解する唯一の人になって行くのでした。
田中絹代さんの出演している映画
「自分の道」が見えてきた二人
ところが雅子という存在が現れた事は、思わぬ事態を招きます。
宗一は、雅子に恋をしてしまったのでした。
彼は常識や契約の概念など通用しない、自由な精神の持ち主です。
仕方なく国子は雅子に「家族間の垣根を越えないで欲しい」と要求し、二人を物理的に遠ざけるしかありませんでした。
一方で、養豚所の事務長のポストを与えておいた譲二が、従業員の若者たちを先導してストライキを起します。
誰よりも過酷な労働を自らに強いて、養豚所のために全身全霊を尽くしてきた国子にとって、従業員にまで背を向けられた事は大きなショックでした。
そして雅子に会えなくなった宗一は、寂しさのあまり幻聴を聞くようになります。
その声に導かれ、フラフラと危険地帯に入り込んだ彼は、誤って崖から転落し、帰らぬ人となってしまうのでした。
国子はこの取り返しのつかない悲劇によって、自分が間違っていたという後悔の念にかられます。
そして皮肉にも、雅子だけが彼女の苦しみを分かってくれる、ただ一人の人だったのでした。
宗一亡き後の相続で、国子は一大決心をします。
それは この養豚所を、宗一が学んだ小桜学園という福祉施設に寄贈するという大胆な決断でした。
彼女は これから先、学園で保母として生きていく事が、宗一への償いだと信じたのです。
そして雅子は、以前からあまりにも価値観の合わない譲二と口論する事が増えていました。
彼女はストライキを起した譲二の無神経さに絶望し、この結婚に終止符を打って、国子と共に小桜学園へ行く決心をします。
深い理解で結ばれた国子と雅子は手を取り合い、二人で力を合わせて新たな道を歩み始めるのでした。
久松静児さんの監督映画
1952年公開
この物語は今見ても斬新だと思いますが、それとは別の意味で驚いた場面がありました。
それは国子と雅子がお風呂で、女同士の会話になったときの
「雅子さん、赤ちゃんがおできになったら
ひとりは是非わたしの所へ下さいね♪」
という、えっ!?という感じのやりとりです。
昔はこういう、貧乏な子沢山の家庭から、裕福で子供ができない家庭に
家族内で子供を譲るというような事が、あるにはあったそうです。
こんな風に軽いノリで切り出せる話題だったかどうかは、分かりませんが・・・。
そしてストライキ事件のとき、雅子が若い職人たちに言ったセリフが心に残りました。
「話し合えば、よく分かる事じゃありませんか。
お姉さまは、むしろ皆さんから直接相談して頂きたかったんです。
それを一方的に『要求』だなんて、それじゃあまりにもお気の毒です。」
その背景として、当時はストとかデモが流行っていたという事も関係しているようです。
昔ながらの家族的経営から「労使は対立するもの」という常識へと移り変わっていく、時代の流れを感じます。
親たちにとっては
「先代からの恩を、仇で返すつもりかい!」
という恥さらしな行為という価値観で、世代間で大きなギャップが生じているのが印象的でした。
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